僕は息を殺して、そっと竹竿の先につけたビニール袋を樫の大木に近づけた。心臓の鼓動がやけに自分の中で大きくなる。
!「。。。ジジジ!!!」
袋の中からカナカナゼミ(ヒグラシ)が暴れる感触と、甲高い鳴き声が僕の両手と耳に届く「やったー!!」僕の心は躍り出した。しかし袋を下に向けないと逃げられる!落ち着いて落ち着いてと自分に言い聞かせた。
丁寧にしかし素早く、草の生えた地面にセミ捕り袋を伏せ、竹竿の先の針金の輪っかに糸で縫ってあるビニール袋の中から、とても美しい透明な葉脈の羽根を持つ、カナカナゼミを右手の親指と人差し指でやさしくつまむ。
「ジジジ!」ぶるぶるとカナカナゼミは、僕の指から逃れようと必死で暴れている。僕は虫かごにそっと入れて大きな満足感にひたった。アブラゼミやニィニィゼミと違って、カナカナゼミは美しい上になかなか捕れないものね。
夏休みといえば、まだまだ小学生の僕にとって、途方もない長い一日の繰り返しで、永遠に続くように思えた頃だ。半ズボンにゴムぞうりで、ラジオ体操の為に近くの広場へ眠い目をこすりながら行き、終われば並んでカードに印鑑を押してもらって帰り、朝ご飯を食べたら畳に仰向けになって今日は何をして過ごそうかと考える。そのうちうとうとと眠りに誘われて目覚めると、高い青空にはジリジリと照りつける真夏の太陽があった。
夏休みの友は、簡単にできる箇所はさっさとやってしまい、時間のかかる観察日記や工作は後回しにしてある。今はきっと無いだろうけど、昆虫採集の標本の為に、僕たちが少年の頃は、注射器と液が入った昆虫採集標本制作セットとでも言うべきアイテムが売ってあった。 わくわくしながら赤い液体と青い液体を注射器に吸わせ、セミとかカブトムシやクワガタを平気で殺して標本にしてたんだから、子供って残酷ではある。
世間知らずでエゴイストで、それゆえに世界が広大過ぎて、自分自身も宇宙のように謎だらけの存在。そんな頃だったからこそ、価値観も現在とは全く違っていた。昼に素麺を食べた後に、「ひ~でちゃん、川にいこ」と誘いに悪ガキが来たので、僕は水中めがねと、水中鉄砲を持ってランニングシャツと海パンいっちょうになって、近くの大川へ泳ぎに行く。
僕の家のすぐ横に、渓谷から流れる谷川があり、そこで沢ガニを捕ったりしたのが保育園から小学校低学年。そして家の前を流れる川は少し大きくて、ドロバエとかボッカァとかチョウカァとかザッコと地元で呼んでる魚をヤスで突いて捕ったのが小学校中学年にかけて、そして大川にデビューできるのはやはり、先輩に認めてもらえる頃にならないと駄目なので、高学年に近くならないと駄目という暗黙のルールが厳然と存在したのだ!
ヨモギをよく揉んで、その草の青い汁を水中めがねに塗ると、水中でめがねが曇らない・・・そんな知識も先輩の中学生から学んだ、その弟子の小学校高学年の先輩に手ほどきを受けて、僕は夏でも冷たい川に胸に水をかけてから入って行く。
ゴボゴボ。。。川の中は、無音なのにすごくいろんな物が新鮮な世界だ。石ころだらけでもその石ころが、いろんな色と形をしていて、水流に流されないように水面にはいつくばるようにして大きな岩の下の隙間をのぞく。
「いた!!」ヤマメだ!水中で見るヤマメの美しさといったら例えようも無いほど、妖艶で魅力的だ。身体の楕円形の模様も黒々として、斑点があり、水泡に向かってエラを動かしながら、身体をダイナミックくねらせ、その身体が水中に入った太陽の光できらめく。 うぐいが多い川だったけど、まれにアマゴとかニジマスとかヤマメがいて、それは流れの急な岩の下に潜らないと発見できない。小さい頃は体力もなくて、流れに逆らって水中鉄砲で獲物をしとめる事ができないので、年上のお兄ちゃんに知らせに僕は走る。 「おったおったで!ヤマメがおった」報せを受けた年上の近所のお兄ちゃんは、まてまて落ち着けと悠然と構え、おもむろに潜って、いつまでも身体を流れに逆らいながら右手に水中鉄砲を持ち、獲物を狙い、左手で石をつかんでいる。
「!!。。。」プシュっと止めていた息を吐き、次ぎに大きく息を吸ったお兄ちゃんの右手の水中鉄砲の先で、ビクンビクンと大きなヤマメがはねる。体長30cmはあろうかというほどの大物で、子分として獲物の持ち役の僕にはきっと、発見はしても、持って帰れってくれないだろうなってわかる。こんな大物を家に持って帰ったら親はきっと喜ぶだろうなって子供心に思いながらも、川の漁の掟では、やはり仕留めた人のもの。柳の枝に魚のエラから通して、何十匹ものウグイやヤマメをぶらさげた僕の腕はすっかり重くて、へたをして落っことしたら大変なので、川の流れのゆるやかなところを池のように石で囲って、獲物を一時的においておく・・・。
夏の匂い、草の香り・・・照りつける太陽と、水しぶき。
あの頃の僕に戻りたいかって問われたら、そんなに戻りたいとは思わないけど、思い出はきっと老人になろうと消えないんだろうなって思う。いつしか成長して、大きな川で魚を突いたりも難なくできるようになったが、あの途方もない時間と夏の豊かな光景はいつでも鮮やかに僕にはよみがえらせることができるのだよね。
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