2007年8月25日 (土)

すっかりご無沙汰

ずいぶん久しぶりの投稿になってしまった。

季節は春から夏、そしてお盆も終わり、朝夕が秋めいてきた今日この頃。

あいかわらず仕事に追われている日々で、あわただしいばかり。

参議院選挙も終わり、世の中はいろんな出来事が起こっては話題から消え、温暖化による猛暑も残暑が厳しいねえ。 しかし蝉はしっかり知っていて、アブラゼミからツクツクホウシに鳴き声が変わってる。

本を読むことが楽しい。 しかし時間が足りない。お酒を夜飲むと眠くて、仕事の合間にと持っては行くものの昼休憩は眠くて。。。じゃあいったいいつ読むの?ってことだよね。オークションも殆ど自分の気に入ったものは手に入れた感じだし、パソコンが調子悪くてヤフーのプレミアム会員に登録できないしで、ちょっとやる気無し。。。今はお金を貯めていろんな物を見る時期なのかなって思ってる。

まずはパソコンをリカバリーして、DVDレコーダーを買うなり修理するなりして、ちょっと壊れた物に囲まれてるからきちんと身の回りの整理をしなくちゃって思う。

しかし、髪の毛はこの猛暑にやられ、薄さが増してきた。。。年齢を感じることばかりの今日この頃、せめてバーベルでも持ち上げて筋トレして元気出すか!って思う意欲もいまいち湧かない。。。もうちょっと盆の疲れを癒そうって思って横着を決め込み、夢の中ででもバーベルでも持ち上げますか。

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2007年4月19日 (木)

さくら・・・さくら

列車の窓から眺める景色のように、時間が過ぎ去ってゆく

そんな表現があるけど、僕の場合時間どころか季節まで過ぎ去ってしまってるようだ。

誕生日月の4月、10日で49歳になった。ほんとうに早い。

次女は4月から米子の病院に勤めが決まり、家族総出で引っ越しをしてあわただしい春がよけいあわただしかった。しかし感無量ってとこはある。

3人の娘に恵まれ、長女、次女と就職した今、残るのは三女のみ。あと二年で大学も卒業して無事に仕事に就いてくれることを願っている。

さくらさくら・・・卒業式や入学式で、自分が幼かった頃から何度眺めたことだろう。でも考えてみたら一年にたった一度しか咲かないんだよね。人生をおおげさに語るつもりはなくても、桜の花吹雪のように人の命ははかない。人を愛し自分を慈しみ、ちょっとずつでも向上してゆくことが天寿をまっとうすることかもしれん。

しかし、仕事と雑事に追われて写真もサイクリングもゆっくりできない。ゆっくりできる日に備えて身体でもちょっとの合間をみて鍛えておくか。年金や健康保険がどんどん条件が悪くなる時代だから自分の身体は自分で守らないとなぁ

とりとめもない雑感でした。

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2007年1月13日 (土)

幸せを感じるとき

昔々、40年もの昔。

僕の生まれ育った家は農家で、玄関を入ってすぐに牛が飼ってあって、牛と共に寝起きする家であった。

山奥の寒村では、当然平地は少なく貧しい兼業農家ではあったのだが、いまだに忘れる事の出来ない風景がたくさんある。

雪に埋もれて暮らすこの冬の時期、朝早くから母は「くど」で薪を炊き、ご飯を煮炊きする間に湯も沸かし、小学校にはいりたての僕を、ブリキの洗面器に湯を沸かして「はや顔を洗いない、遅れっで」と起こしてくれた。

その優しいまなざしと湯の温かさは、今でも忘れられない。特に今の調理の仕事は、ボイラーで蛇口をひねったら温かい湯が出てくる。湯を使って仕事の道具を洗いながら、あぁ幸せだなぁっていつも思うのだ。

もう少しさかのぼり、僕が3歳前後、父は外にいったん出て、離れにある五右衛門風呂に僕を連れて行くとき、浴衣と胸の間に僕を入れて裸ん坊の僕を風呂まで連れて行ってくれた。

なんて貧乏なのに愛情のあふれた家だったのだろう。ぬくもりのある関係だったのだろう本当に両親は僕を目の中に入れても痛くない程可愛がってくれたんだなって今でも思う。

自分が親になり、どうなんだろう。。。子供達に果たして幸せな気持ちになることのできるそんな眼差しと、思い出となる愛を感じられることをしてきたのだろうか。はなはだ心許ないのが現実だ。

早いもので一番下の娘も今年成人式を迎えた。

晴れ着を着た我が娘をカメラに収めながら、よくもまあ3人の娘もここまで育ってきてくれたなあと思うと同時に、三つ子の魂百までということわざに照らし合わせ、自分が愛情を本当に注いできたのだろうかとふと自問自答してしまう。娘達は親を思い幸せを感じてくれる瞬間がたくさんあるんだろうか、あったらいいなって思う年明けの今日この頃。

少しずつ日が長くなってくるし、夕方の空の色が優しくなってくる。あたたかい春が早くやってくればいいな。

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2006年12月12日 (火)

点滴を吊って歩く男

厳しい症状だった。

下痢をしてもあとからあとから腹がさしこみ、腹はグルグル鳴り、トイレに行って「これで納得してくれぃ」と頼み込み、やれやれとズボンを上げ扉を閉めたとたん「おっと、またきた。。。」という有様。

この時期に風邪っぽい症状が出るのは毎年のこと、木枯らしとともにやってくる私の恒例の出来事と軽く思っていて、軽く二日ほどの喉の痛みと、鼻水の不快さに耐えたら、サッと治まり、あくる年の冬の終わる頃、また軽~く風邪気味かな?って感じて、それでおしまい!ってのがこの10年来の経過だった。

今回、妻と長女が相次いで風邪で、熱っぽく咳をしていて、お腹もくだると訴えていたので、たいへんだなと家族ながら、どこかで人事のように思っていたのだったが、二人とも比較的軽くて終わったようだったので、ホッとしていた矢先の出来事だった。

最初は、三日ほど鼻水と軽い咳、そして喉の痛みがあって、あぁいつものやつがきたなって余裕を持って、「薬を飲まない?」と言う妻の言葉にも耳を貸さず「俺は薬が大嫌いなの」といつも通り答えていたのだが、翌日の早朝の仕事のおり、いつものように朝ご飯を職場の電子レンジでチンしようとしたところ「Nさん大変!ブレーカーが落ちたみたい」と、先に食事をしてたおばちゃん社員達が右往左往してる。・・・しょうがないなーと思いつつ、冷蔵庫の電気の球切れにしたっていっつも俺だもんなぁ・・・とぶつぶつ心でつぶやきながら、食堂のブレーカーのありかを誰一人僕を含め職場の人は知らなくて、スーパーの社員に尋ねるしかないので、問い合わせにいったのだが、なかなかわかんない。

結局、冷たいご飯を休憩時間も差し迫ってるので、冷たいお茶と一緒にかきこんで、あわてて仕事に取りかかったのだが、その夜がひどかったのね、今思ったら。

その夜に限って、松葉かにがある人から届き、デカい浜ゆでの見事な二枚の姿を見て、さぁ食べるぞぉってなる気持ちがーまーったくない。。。無いどころか、夕方から風邪の症状に加えて、胃の痛みっていうか腸の痛みっていうか、そんな痛みとともに胸がつかえて吐きそうでもあり、腹も張り、食欲減退、性欲減退、虚弱体質、食欲不振etc..etc とんでもないことになってきたのだった。

ビールとともに、カニ味噌をちょびりちょびり、足の身をほじりほじり。。。いかん・・・食べれん。。。「もう寝る」妻と長女に言って、二階に這い上がるようにして寝たのだが、目覚まし時計の鳴る前に、お腹のコメントに目覚めてトイレに行ったところからが、山本リンダだった。もうどうにも止まらない。

結局、その朝が土曜日だったので、休むわけにはいかず、しかも翌日はめちゃくちゃ忙しい日曜日。苦しみながらはぁはぁ ふぅふぅ言いながら、内側からノックする誘惑者達にNO!と言うのだが、いったんすっきりするために個室へ入ると、また、はいお待ちしてましたと、土日は10回くらいは通ったんじゃないかな。。。

あれ・・・尾籠な話しで恐縮だけど、ガスってお腹が張ると、出すとすっきりするでしょ?でもね、誘惑に負けて、これは今までの人生の経験と勘で、ガスだな!って判断したつもりが、中身が出ちゃうのね、下手したら。。。恐い世界だよねぇ。

そして、どうにも止まらない症状の中、おかゆと梅干しを少しづつ朝と昼の主食で食べ、なんとか土日を過ごしたのだがまだ下痢が治まらなくて、妻が自宅で点滴してくれて点滴を手に吊ってトイレに行き、やっと地盤も固まってこうしてPCの前でブログの日記を書ける状態になったのでした。ふぅ。。。教訓!いつまでも若さと体力を過信してはならない!自分を見つめて認めて素直に早めに対処しましょうね。

しかし、この秋から師走にかけてのあわただしさはどうだろ。年々年を重ねる毎に月日が経つのが早くなってきてるのだけど、今年は特に忙しい。ふたつの仕事を掛け持ちしてるので忙しいのは仕方ないけど、その二つともがともにクオリティーっていうか、コンプライアンスとか能率とかいろんなことを求めてきやがった!ってのが原因だね。しかし!負けないじょ!ケツの穴締めて!(美しい表現だなぁ)前向きにしっかり生きて、年末年始を乗り切るじょぉおおお!!(←ハードスケジュールを控えて悲痛な叫び)

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2006年11月 2日 (木)

時は流れて

キンちゃんが死んだ。。。 

一番下の娘が、小学校の五年生になった五月の連休の時、大阪から来ていた従姉妹と近くのショッピングタウンで金魚すくいをして、確か4匹、ちっちゃなメダカの親分みたいなのをナイロン袋に入れて貰い帰ってきた。僕は仕方なく海苔の広口瓶に入れ、玄関の下駄箱の上に置いたっけ。夏の暑い日も耐え、一匹だけになってもしぶとくキンちゃんは生きていた。

ーあれからかれこれ9年半、末の娘も大学二年生になった。

水槽を買ってきて、酸素の出るポンプを備え付け、めだかの親分から中級のサイズのフナにまで成長して、玄関先を訪れる宅配便のアンちゃんを「立派ですねー」と驚かせるまでになっていたのだが、ここ一年程の晩年には、お腹が膨らんでしまい(たぶん腫瘍ができた)いつも仰向けになって、底で潜水艦のように潜って過ごすようになってしまった。

餌を食べる時には、何度も水中で跳ねてやっとのことで水面に顔を出し、餌をパクついて食べていて平衡感覚が無くなってキンちゃんもめまいがするだろうなぁと思いながらどうしようもなかった。

思えばキンちゃんが生きてきた月日は、僕の家庭は子育て真っ最中の時期で、3人の娘は成長期と反抗期の真っ只中であった。妻が自分の手に負えないと泣きながら職場に電話してきたことや、中学生の時、同級生との軋轢、悩みや反抗。家族の団らんと笑顔。その家族の中にいつも玄関の水槽の中のキンちゃんがいた。

身体にカビが生えて、ブルーの殺菌の薬を水槽に入れて、良くなったからときれいに水を換えたら、鼻の周りだけ青くて「北島三郎だ~」と子供達が喜んだり、斜めに泳いでいて死にかけたりしたことは何度もあった。

時の流れの中で、バドミントンに夢中になり、浮気疑惑が発覚し、会社が倒産し、仕事が軌道に乗り多忙になり 時の流れの中で、家族旅行に行き、妻の喫煙疑惑が発覚し、隣の家のばあちゃんが亡くなり、隣のうちの息子二人が結婚し、我が家の娘は反抗期を過ぎ、進学し、親元を離れた。

まるで家族の病気をすべて背負うかのように、お腹を膨らませてしまい、熱帯魚のお店に治療に連れて行ったり、鳥大の獣医さんに電話で症状を相談したりもしたのだけど、まともな身体になり泳ぐことは叶わなかった。

亡くなるほんのごく最近の早朝、仕事に出る前の僕に、今思えば最後の別れの挨拶だったのかもしれない。。。餌を欲しがるかのように水槽の底で、口をパクパクした。餌をあげても知らんぷりの様子に、浮かび上がる力もないもんなぁと不憫に思ったものだが、あとから思えば「今日まで育ててくれてありがとう しあわせでした」そう言ってくれていたと思いたい、きっと別れの挨拶をしてくれたのだと思う。

泣きながら庭の金木犀の根元にスコップで穴を掘り、四国の佐多岬の石、京都の清水寺の石、北海道の阿寒湖畔の石、出雲大社の石、秋吉台の石。 キンちゃんに土産に持って帰ったさまざまな石を水槽に入れてやっていたのだが、墓石代わりにかぶせた土の上に敷いてやり、庭に今が盛りと咲いていたピンクのバラの花びらをたむけて置いてやった。

一斬の風が吹き、ひとつの命が、存在が消えてしまった。でも家族の心には永遠に生き続ける。キンちゃんありがとう、天国で幸せにね。

テレビでは、つま恋コンサートの様子を放送していて、よしだたくろうとかぐや姫が歌っている。 もと若者と呼ばれた人達が一緒になって歌を口ずさんでいる。

時は流れて時は流れて・・・命は生まれ消えそして星となる。そして僕の周りで輝き続ける。

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2006年10月14日 (土)

しゃあまぁこかんでめぇ

毎日が列車の窓から眺める景色のように、流れ去って行く

せわしなく何かに追われてるわけでもないのに、気がつけばキンモクセイの香りもかすかに嗅いだような記憶が残るだけとか、衣替えを済ませているんだけど今年は季節の実感が薄い。

そんな中、中年真っ盛りの僕は、身綺麗ということをテーマにこれからを過ごさなくちゃねぇと感じることがマイブームとなっている。オークションのおかげでスーツを安く手に入れ、ネクタイとワイシャツも何枚か揃え、一番のヒットは、その存在さえ知らなかった「鼻毛カッター」というすぐれものさえ手に入れた。

実際この年齢になると頭の毛も薄くなり、力強さがなくなり、精力も弱くなり、日暮れの時刻には、くたびれた姿で頭を垂れとぼとぼと歩くって年齢なのに、何故か鼻毛だけは伸びる!まぁ本当に元気よく太く雄々しく!太く雄々しくなるなら他の箇所がいのになぁなんて嘆きながらもこれが運命というものなのでしょうね。それにどうも、もう少し僕より先輩になると耳の中にまで剛毛が生えてくるらしいのだ。

今までは鼻毛というものは、指で引っこ抜くか、毛抜きで引っこ抜くか、ちっこいハサミで切るかってことしか僕の頭には無かったのだけど、鼻毛カッターはすぐれものだったのだ。なにせ指では抜きにくい、鼻の穴の入り口付近の短い物でも楽~にカットできる♪これで恐怖のバカボンのパパ状態から脱却できるし、田舎っぺ大将の風大左衛門みたいに涙がちょちょぎれる鼻毛抜きから解放されたのだ!

鼻毛で盛り上がってしまった(^-^;

ちょい不良(ワル)おやじがちまたで流行してるそうな。そのファッションとか生き方がかっこいいのだそうな・・・う~~んと思ってしまう。

僕にはどうしても不良ってイメージはあまり好感をもてない。若い時なら強がって、つっぱってって一応の理解はできるけど、不良ってけっこう仲間で群がってるでしょ?あれ嫌なんだよねえ。それに異性の目をいかにも気にしてないようでしっかり気にしてるしねぇ、なんかどうも僕にはほど遠い存在だなって思う。それなら孤独な不良というか、大藪春彦の主人公のようなストイックな孤高の存在的、悪!って方が僕はひかれる。なかなか格好良くは生きられないのがこの世の常なんだけどねぇ。

昔から気が利かないというか、お酌をするのが下手である。宴会でもついつい見逃して周りの人に手酌をさせてしまうのは私です。なんでだろ・・・

しゃあまぁこかんでめぇとは、余計なことをしなくていいってこと。僕は人に対してあまり干渉したり、手を差し伸べたりすることが本当に苦手だ。どうも世渡り下手っていうか我が道を行くっていうか、気が利かないのだよね、やっぱ。今までも会社員で営業をしてきたのに、ごますりとか上手口とかお世辞とかが本当に下手で困ってしまう。ちょっと意味は違うかもしれないが、結局自己中心なのだろうか?

自分らしく生きるってどうも僕には、しゃあまぁこかないで我が道を行くっていう今までの生き方をしていく以外にないなぁって思うし、それが自分にとって楽だからあくまでもそれで良いかぁって思って開き直ってる。まぁだからこそ組織の中での出世とか上役とかとは無縁の生き方をしてきたし、これからもきっとそうなんだろな。でも健康で毎日がおいしく食べられ、楽に快適に身体が動き、精神的にも楽~~に生きるのは僕にとって、しゃまぁこかない生き方だからこれはこれでいいのだ!っと結論づけて納得しているのだ。

虫の音が騒がしかった秋の夜も、いつの間にかこたつが似合う頃になろうとしてしまってる今日この頃。星空がきれいな夜と早朝、わずかでも美しい音や景色に心を癒したい。明日も楽に生きよう。

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2006年9月21日 (木)

オークションに目覚めた あ・た・し

う~~ん

オークションが面白い・・・

前は見向きもしなくて、店で買えばいいじゃん、目で見て触って実物を確認して買い物しないで画像だけ見て買い物するなんて信じられん・・・。なぁんて思っていたのだが。

僕は物欲は無い方だってずっと思ってた。ところが!今までの常識の価格より安くて、じっくり吟味できて、自分で値段を決められるってのは凄い!

おかげで腕時計を5個持つことになってしまったし、ビジネスバッグ、セカンドバッグ、ミニSDメモリカード1GB、そして今狙ってるのがスーツ。昔の常識的な頭ではついていけないくらいお得な値段と物欲の満足感と、落札したときの駆け引きの快感にクセになってしまいかけてる。

おまけに店からの商品紹介のメールでネクタイもついつい買ってしまった。

まぁおのずと小遣いには限りがあるんで、ブレーキはかかるって思ってはいるが、制限時間をわくわくしながら待つスリルに危険な誘惑に負けそうになっている。気をつけなくては・・・中年の恋は深みにはまるっていうからなあ 

でも、パソコンを始めてオークションの存在を知っててもその良さを知らなかったので、ああ これで一つ大人になったなぁってうぶな少年は感嘆するのでありました。

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2006年9月 7日 (木)

惹かれる言葉

「淫らに」「官能に溺れる」「快感に身をよじる」「禁断の世界」「愛欲にまみれる」・・・う~むぅ。。。ええですなぁ こうして字づらを眺めるだけでも若返りますなぁ(笑)っていうか中年のいやらしさ??

普段真面目に仕事場では、仕事の事ばかり考えてる日常なので、こんな非日常の世界の言葉に惹かれる。

中学生の頃は、国語事典で「性」「抱擁」「接吻」「陰茎」だの「陰唇」だのと言葉を引いては喜び、結論の出ない堂々巡りであってもなんかわくわくしてたなぁ。

時代劇の中の言葉の「てごめにいたす」「ごむたいな」「夜とぎを命ずるぞよ」「あられもない姿」「お情けをちょうだいいたしたく・・・」なぁ~んてこんなのもいいな♪

こうしてみると日本には、随分素敵なエッチな言葉がたくさんある。英語の映画を字幕で観てても、隠語というか訳せないエロい言葉とか、汚い言葉に品格がないなぁって常日頃感じる事が多い。

ちなみに48歳になった今、僕が惹かれる言葉は

「あながた好きよ」

「あなたを愛しているわ」

である!この言葉を面と向かって言っていただけたらどんなに心から幸せであろうことか。あぁ 愛が欲しい・・・(欲求不満のおじさん日記になってしもぅた)

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秋芳洞のとある風景。自然の作り出した光景も見方によっては、ちょい淫靡?(笑)そう感じるのは、わたしだけぇ?

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2006年8月28日 (月)

専務からの一通のメール

3日ほど前のこと、トイレから出るとばったり顔を合わせた調理の仕事場の所長が、ちょっとちょっとと手招きをする。はて。。。と思ったのだが、内容は玉子焼きについて。

僕の朝の仕事は、前にいたY君が玉子焼きのメインで、僕がサブというシフトをとっていて、それで3年ほど前から玉子焼きをするようになっていた。玉子焼き一本に対して卵2Lを8個使うので、日曜日などは50本くらい焼かなきゃなんないから、400個の卵を桶に割り入れてかき混ぜ、二本の卵焼き器(四角いフライパン状のもの)でリズミカルに焼き上げないととても時間がかかってしまう。

所長の話の内容は、玉子焼きの方法について・・・何をいまさら、と心の片隅で思ったのだが、聞いた内容に目からうろこ状態。

玉子焼きの卵はあまりかき混ぜてはならない。そして高温で焼き上げること。要約するとその二つのことなのだが、あ!っと思った。

つねづね僕とY君の焼き上げる玉子焼きの焼き目が違うことは思っていた。盗み見て技術を盗もうと思ってもどうにも僕の方が焼き目が多く付いてしまうのだったのだよね。なんでああいう状態でああなるんだろ・・・それを素直に聞けばいいんだけど、それがなかなか聞けないんだよねえ・・・。素直に聞けばきっと教えてくれていたのだろうけど、年齢的に僕の方が年上であり、職場も勤務年数が長いとかの下手な意識が邪魔をしてたんだろうね。

卵の白身を残して焼き上げた方が、熱にふたをする状態でふっくら焼き上がるってことを聞いて、あぁなるほど~っと納得できたのだった。実際に試してみたら、やはりそうだったのだ。Y君の玉子焼きより、僕の方がふっくらしてていいって女性の弁当、皿盛りの係は前々から言ってはくれていたんだけど、感じよく焼けてる時と、焼き目が強い時があった。しかしこれによって、ますますいい品質の玉子焼きが出来るな!って嬉しくなった。

専務から所長へ、NHKの「試してがってん!」という番組の要約をメールで届けてくださったおかげで目からうろこの状態になれた。これはとても僕にとっても職場にとっても大きな幸運と受け止めて、心から感謝したいって思った次第でした。人間素直じゃなきゃならないし、まだまだ人生修行だらけだなって感じた次第でした。

Img_1697 ←8月20,21日と錦帯橋、秋吉台、湯田温泉、萩、津和野と家族5人で行ってきた。 強硬なスケジュールで疲れたけど、家族サービスするのも父親の役目・・・父親って大変ね。実感したわ。でも写真がたくさん撮れたのでそれがよかった(笑) 思い出って大切だもんね。

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2006年8月17日 (木)

夢中さ君に ~少年編~

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僕は息を殺して、そっと竹竿の先につけたビニール袋を樫の大木に近づけた。心臓の鼓動がやけに自分の中で大きくなる。

!「。。。ジジジ!!!」

袋の中からカナカナゼミ(ヒグラシ)が暴れる感触と、甲高い鳴き声が僕の両手と耳に届く「やったー!!」僕の心は躍り出した。しかし袋を下に向けないと逃げられる!落ち着いて落ち着いてと自分に言い聞かせた。

丁寧にしかし素早く、草の生えた地面にセミ捕り袋を伏せ、竹竿の先の針金の輪っかに糸で縫ってあるビニール袋の中から、とても美しい透明な葉脈の羽根を持つ、カナカナゼミを右手の親指と人差し指でやさしくつまむ。

「ジジジ!」ぶるぶるとカナカナゼミは、僕の指から逃れようと必死で暴れている。僕は虫かごにそっと入れて大きな満足感にひたった。アブラゼミやニィニィゼミと違って、カナカナゼミは美しい上になかなか捕れないものね。

夏休みといえば、まだまだ小学生の僕にとって、途方もない長い一日の繰り返しで、永遠に続くように思えた頃だ。半ズボンにゴムぞうりで、ラジオ体操の為に近くの広場へ眠い目をこすりながら行き、終われば並んでカードに印鑑を押してもらって帰り、朝ご飯を食べたら畳に仰向けになって今日は何をして過ごそうかと考える。そのうちうとうとと眠りに誘われて目覚めると、高い青空にはジリジリと照りつける真夏の太陽があった。

夏休みの友は、簡単にできる箇所はさっさとやってしまい、時間のかかる観察日記や工作は後回しにしてある。今はきっと無いだろうけど、昆虫採集の標本の為に、僕たちが少年の頃は、注射器と液が入った昆虫採集標本制作セットとでも言うべきアイテムが売ってあった。 わくわくしながら赤い液体と青い液体を注射器に吸わせ、セミとかカブトムシやクワガタを平気で殺して標本にしてたんだから、子供って残酷ではある。

世間知らずでエゴイストで、それゆえに世界が広大過ぎて、自分自身も宇宙のように謎だらけの存在。そんな頃だったからこそ、価値観も現在とは全く違っていた。昼に素麺を食べた後に、「ひ~でちゃん、川にいこ」と誘いに悪ガキが来たので、僕は水中めがねと、水中鉄砲を持ってランニングシャツと海パンいっちょうになって、近くの大川へ泳ぎに行く。

僕の家のすぐ横に、渓谷から流れる谷川があり、そこで沢ガニを捕ったりしたのが保育園から小学校低学年。そして家の前を流れる川は少し大きくて、ドロバエとかボッカァとかチョウカァとかザッコと地元で呼んでる魚をヤスで突いて捕ったのが小学校中学年にかけて、そして大川にデビューできるのはやはり、先輩に認めてもらえる頃にならないと駄目なので、高学年に近くならないと駄目という暗黙のルールが厳然と存在したのだ!

ヨモギをよく揉んで、その草の青い汁を水中めがねに塗ると、水中でめがねが曇らない・・・そんな知識も先輩の中学生から学んだ、その弟子の小学校高学年の先輩に手ほどきを受けて、僕は夏でも冷たい川に胸に水をかけてから入って行く。

ゴボゴボ。。。川の中は、無音なのにすごくいろんな物が新鮮な世界だ。石ころだらけでもその石ころが、いろんな色と形をしていて、水流に流されないように水面にはいつくばるようにして大きな岩の下の隙間をのぞく。

「いた!!」ヤマメだ!水中で見るヤマメの美しさといったら例えようも無いほど、妖艶で魅力的だ。身体の楕円形の模様も黒々として、斑点があり、水泡に向かってエラを動かしながら、身体をダイナミックくねらせ、その身体が水中に入った太陽の光できらめく。 うぐいが多い川だったけど、まれにアマゴとかニジマスとかヤマメがいて、それは流れの急な岩の下に潜らないと発見できない。小さい頃は体力もなくて、流れに逆らって水中鉄砲で獲物をしとめる事ができないので、年上のお兄ちゃんに知らせに僕は走る。 「おったおったで!ヤマメがおった」報せを受けた年上の近所のお兄ちゃんは、まてまて落ち着けと悠然と構え、おもむろに潜って、いつまでも身体を流れに逆らいながら右手に水中鉄砲を持ち、獲物を狙い、左手で石をつかんでいる。

「!!。。。」プシュっと止めていた息を吐き、次ぎに大きく息を吸ったお兄ちゃんの右手の水中鉄砲の先で、ビクンビクンと大きなヤマメがはねる。体長30cmはあろうかというほどの大物で、子分として獲物の持ち役の僕にはきっと、発見はしても、持って帰れってくれないだろうなってわかる。こんな大物を家に持って帰ったら親はきっと喜ぶだろうなって子供心に思いながらも、川の漁の掟では、やはり仕留めた人のもの。柳の枝に魚のエラから通して、何十匹ものウグイやヤマメをぶらさげた僕の腕はすっかり重くて、へたをして落っことしたら大変なので、川の流れのゆるやかなところを池のように石で囲って、獲物を一時的においておく・・・。

夏の匂い、草の香り・・・照りつける太陽と、水しぶき。

あの頃の僕に戻りたいかって問われたら、そんなに戻りたいとは思わないけど、思い出はきっと老人になろうと消えないんだろうなって思う。いつしか成長して、大きな川で魚を突いたりも難なくできるようになったが、あの途方もない時間と夏の豊かな光景はいつでも鮮やかに僕にはよみがえらせることができるのだよね。

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